還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
観音寺陵(後堀河天皇陵)
八六代/後堀河(ごほりかわ)天皇陵
諱/茂仁 とよひと
在位年/西暦一二二一~一二三二年
陵形/円丘
皇居/平安京
所在地 観音寺陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町 泉涌寺内
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約20分。
86代後堀河天皇は、80代高倉天皇の第二皇子の守貞親王(後高倉院)の第三皇子。承久の乱の首謀者・関係者である、「後鳥羽上皇・土御門上皇・順徳上皇」を配流し「85代仲恭天皇」を退位させた鎌倉幕府。次代の皇位継承者には、乱の首謀者である後鳥羽上皇の直系子孫を排除、後鳥羽上皇の兄・守貞親王の三男であり、出家していなかった茂仁王を「86代後堀河天皇」として即位させた。
その御陵は、京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある円丘の観音寺陵。
観音寺陵(後堀河天皇陵)
持明院 仙洞御所跡