第一〇五回 一二〇代 仁孝天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
江戸時代  <後期> 一一八~一二一代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

月輪陵(仁孝天皇陵)

「月輪陵」と「西院  春日神社・仁孝天皇御胞衣塚」

一二〇代/仁 孝(にんこう)天皇陵
諱/恵仁 あやひと
在位年/西暦一八一七~一八四六年
陵形/九重塔
皇居/京都御所 

所在地 月輪陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町  泉涌寺内
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約25分。

月輪陵

 「120代・仁孝天皇」は、18歳で即位する。父の先帝「光格天皇」意志を継ぎ、公家子弟のための教育機関の設置を志した。創設のため幕府との折衝を命じ、了承を得てその志が実現することとなった矢先に47歳で崩御した。その後も「121代・孝明天皇」にも引き継がれ「学習院」となり、現在の「学習院大学」まで続いている。

 また、「仁孝天皇」は、院政を敷く「光格上皇」ともに尊皇思想で、幕末の諸問題に対応していた。そして、国民にも尊王論が広まり始めたことで、朝廷権威復活の兆しが見えてきた。

 その御陵は「泉涌寺」内にある「月輪陵」に治定されている。

雲龍院 仁孝天皇皇女雲龍院墓

「月輪陵」の裏山に「雲龍院」という寺院があり、そこに「仁孝天皇」の皇女の墓があると聞いたので向かう。「月輪陵」の脇道から登りの石段を見つけ登ってみた、なかなか急な石段だ(苦笑)。

石段を登り詰めれば、いつもの宮内庁の立て札がある。「仁孝天皇」の皇女だけではなく「後光厳天皇・後円融天皇分骨所」「後小松天皇灰塚」も祀られていた。

何度も来ているのにこの場所は知らなかった・・・。

西院  春日神社・仁孝天皇御胞衣塚

京都・西院の「春日神社」に「仁孝天皇御胞衣塚」があるので参拝に向かった。

駅を降りれば直ぐなのが嬉しい! 阪急京都線・京福嵐山本線「西院」下車、徒歩約5分・約400m。

この「西院  春日神社」は、「53代・淳和天皇」の皇女「崇子(たかこ)内親王」の疱瘡祈願で快復されてより、その後、皇室から病気平癒や災難厄除けの守護の神と崇められてきたらしい。

確かに、境内に多くの皇族の足跡を感じられる。その一つが今回の被写体の「仁孝天皇御胞衣塚」だ。

そんなに大きくない境内の西脇に御胞衣塚がある。本殿より少し離れている、なぜだろうか・・・。

正面からの一枚。御白石が敷かれていて、なんだか可愛く見えてしまう。

不敬だが、上からのアングルでもう一枚。

次の旅は等々、幕末も幕末だ・・・。

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