五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
御陵の前方部の先端を西側からの眺望、拝所の鳥居が見える。
十四代/仲哀 (ちゅうあい)天皇陵
和風諡号/足仲彦天皇 たらしなかつひこのすめらみこと
在位年/西暦一九二~二〇〇
陵形/前方後円
皇居/穴門豊浦宮(山口県)
所在地 惠我長野西陵 大阪府藤井寺市藤井寺四丁目
最寄駅 近鉄南大阪線「藤井寺」から徒歩一二分
この御陵は「世界遺産百舌鳥・古市古墳群」の構成資産として登録されている。仲哀天皇は、九州南部の熊襲征討のため、穴門豊浦宮から進んで筑紫橿日宮に至ったが、西方の新羅国を征討せよとの神託を信じなかったため、筑紫に没したという。
御陵の近くには、藤井寺市立生涯学習センターがある。ここの二階には、藤井寺市内の遺跡から見つかった道具を展示し、旧石器時代から奈良時代までの変遷を学ぶことができる「歴史展示ゾーン」も合わせて立ち寄るのがお勧めだ。
惠我長野西陵(仲哀天皇陵)
さすがは世界遺産、美しく整備させている。学術名は岡ミサンザイ古墳とも呼ばれている。
藤井寺市立生涯学習センター
建物の外観デザインは、船形埴輪と修羅をモチーフにしている。
穴門豊浦宮
穴門豊浦宮は、山口県下関市長府宮の忌宮神社が伝承地。
広大な境内の中心に一段高く神門があり、菊の御紋が印象的。
必勝祈願のために、逆さまに松を植えた神功皇后の「さか松」。