鎌倉時代 八二代〜九五代 2023.06.20 第六七回 八二代 後鳥羽天皇陵天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵・火葬塚と伝承地を巡っています。今回は後鳥羽天皇陵・火葬塚をご紹介。承久の乱で鎌倉幕府執権の北条義時に敗北、配流された隠岐にも訪問致しました。なかなか、遠かったです・笑。還暦越えにして御陵全踏破を目指し旅をしています。ご覧頂ければ幸いです。 第六八回 八三代 土御門天皇陵還暦前、写真家の「写して候・寄って候」天皇御陵踏破の旅鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵 五十路もなかばの頃、ふと考えた。日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。イデオロギーなど関係無い、ただ... 第六九回 八四代 順徳天皇火葬塚天皇御陵踏破の旅。今回は新潟県佐渡市(佐渡島)にある土御門天皇火葬塚をご紹介。この火葬塚は明治22年5月までは真野御陵と言われ、天皇御陵と認められていた。その後、京都の大原陵で父の傍に安置されている。現在、火葬塚は御陵と同格扱いで宮内庁に管理されている。 第七〇回 八五代 仲恭天皇陵天皇御陵踏破の旅。今回は85代・仲恭天皇陵と、宮内庁が管理している、もうひとつの陵墓参考地「東山本町陵墓参考地」ににも訪問。御陵の手前には、時代が違う「崇徳天皇皇后陵」があり??です。東山本町陵墓参考地は、奈良街道沿い住宅が立ち並ぶ中に墓参考地がありました。 第七一回 八六代 後堀河天皇陵天皇御陵踏破の旅。今回は、京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある86代・後堀河天皇陵に訪問。泉涌寺は、皇室の菩提寺(皇室香華院)として御寺(みてら)と呼ばれてい。霊明殿には歴代の天皇や皇后、皇族の尊牌が奉安されている、由緒正しきお寺です。 第七二回 八七代 四条天皇陵天皇御陵踏破の旅。今回は、鎌倉幕府の北条泰時により、武家法が制定されたその年にわずか12歳で崩御された、四条天皇陵に訪問。父・後堀河天皇陵と同じく泉涌寺の寺内地にあり、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において多くの歴代天皇・皇族の霊が祀られている。 第七三回 八八代 後嵯峨天皇陵天皇御陵踏破の旅。今回は、「八方睨みの雲龍図」の天井画で有名な「天竜寺」内にある八八代後嵯峨天皇陵に訪問。そして、御陵から桂川を目指し歩き石段を昇って、後嵯峨天皇火葬塚にも訪問した。還暦越えにして御陵全踏破を目指し旅をしています。ご覧頂ければ幸いです。 第七四回 八九代 後深草天皇陵に訪問天皇御陵踏破の旅。今回は、八九代後深草天皇陵に訪問。JR奈良線の直ぐ横に御陵はあります。ここには北朝12代も帝が葬られていて、あと数回訪問することになると思います(苦笑)。還暦越えにして御陵全踏破を目指し旅をしています。ソノひびヨリにて連載しています、ご覧頂ければ幸いです。 第七五回 九〇代 亀山天皇陵天皇御陵踏破の旅。今回は、九〇代亀山天皇陵に訪問。御陵は父・後嵯峨天皇と同じ天竜寺にあり、火葬塚もの近くの亀山公園内にある。一部、納骨された南禅寺・分骨所や縁ある福岡市の筥崎宮にも訪問。ソノひびヨリにて連載しています、ご覧頂ければ幸いです。 第七六回 九一代 後宇多天皇陵天皇御陵踏破の旅。今回は、九一代後宇多天皇陵に訪問。この御陵には飛地があり「飛地へ号・ほ号・に号」まで踏破。その後、時間の関係上で後宇多天皇髪塔、東福寺境内の桂昌院・後宇多天皇菩提所に参拝。天皇陵全踏破の旅をソノひびヨリにて連載しています、ご覧頂ければ幸いです。 第七七回 九二代 伏見天皇陵天皇御陵踏破の旅。今回は、九二代伏見天皇陵と伏見殿跡周辺に訪問。伏見殿跡周辺には北朝二代・三代の光明天皇・崇光天皇陵があり有意義な訪問になった。また。この伏見殿跡周辺には安土桃山時代の「伏見指月城跡」も残っている。天皇陵全踏破の旅をご覧頂ければ幸いです。 第七八回 九三代 後伏見天皇陵今回は、御陵は北朝の歴代が葬られている「深草十二帝陵」、「深草北陵」に再訪。そのため今回も「伏見殿跡周辺」の探訪をすることにした。相国寺の総門の近く飛地にあたる「伏見宮墓地」、北朝を継続させるため皇室でもないのに、事実上「治天の君」となった・・・。天皇陵全踏破の旅をご覧頂ければ幸いです。 第七九回 九四代 後二条天皇陵今回は、御陵は二代続いた持明院統(北朝)天皇に不満を持つ祖父・亀山上皇(90代天皇)の強い要望により幕府を動かし誕生した天皇、94代・後二条天皇陵を訪問。在位7年と短く、持明院統と大覚寺統の対立が深まりだす。天皇陵全踏破の旅をご覧頂ければ幸いです。 第八〇回 九五代 花園天皇陵今回は、大覚寺統(南朝)の先帝・後二条天皇が急死したために12歳で践祚した、花園天皇陵を参拝。そして「花園離宮」を寺にした「妙心寺」ににも訪問。鎌倉期・最後の天皇の足跡を散策です。天皇陵全踏破を目指し、還暦越え写真家の旅をご覧頂ければ幸いです。