天皇陵

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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四五回 五九代 宇多天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、宇多天皇は、58代光孝天皇の第七皇子ながら臣下に降り、その後、皇籍に戻って21歳で天皇に即位したという珍しい経歴を持っている。その後、31歳で譲位して太上天皇となる。また、33歳で出家し初めての法皇にもなった天皇。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期> 第四四回 五八代 光孝天皇陵 

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、55歳で即位した「光孝天皇」の御陵を紹介。この天皇は幼い頃より素行が良く、聡明で温和であったため人々から信頼されていたと伝えられています。在位期間は短く、わずか3年余りで病のため58歳で崩御された。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第四三回 平安時代<前期> 五七代 陽成天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、生まれ生後三ヶ月で立太子、9歳で即位した陽成天皇の御陵を訪問。御陵は紅葉で有名な「真正極楽寺・総門(赤門)」近くにあります。対辺間18メートル、高さ2.4メートルの八角墳の御陵。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第四二回 平安時代<前期> 五六代 清和天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、天皇陵の秘境中の秘境で難所ばかりの清和天皇陵(水尾山陵)を訪問。保津峡駅を下車、保津川を眺め駅から出発。とのかく保津川沿いに「水尾の集落」まで府道55号線を歩いた・・・。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第四一回 平安時代<前期> 五五代 文徳天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、平安時代に絶大な力を持つ、藤原氏によって擁立された、最初の天皇「文徳天皇陵」に訪問。御陵は、中世以降に所在地不明となっていた、幕末に谷森善臣の比定に従い、現在宮内庁によって現在の陵墓が定められた。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第四〇回 平安時代<前期> 五四代 仁明天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、叔父の53代淳和天皇の譲位を受けて即位した「五四代 仁明天皇陵」を訪問。この御陵の形式は方形されているが、これは文久の修復のさいに造られたもので、本来の深草陵は同区深草瓦町の善福寺周辺とも考えられている。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第三九回 平安時代<前期> 五三代 淳和天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、淳和上皇の意向により火葬され、その遺骨は、近臣の手によって現在の小塩山山頂付近で、散骨されたと言われている。その御陵は、山頂付近に長らく小石で築かれた円塚があっただけだったとされていた。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第三八回 平安時代<前期> 五二代 嵯峨天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回の御陵は、晩年に住み崩御された、嵯峨院(大覚寺)を見下ろす、嵯峨山の山上付近にある「五二代 嵯峨天皇陵」に訪問。拝所に続く参道入口。ここからジグザグ(トレイル)に階段を昇る・・・。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第三七回 平安時代<前期> 五一代 平城天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は32歳で即位した平城天皇陵に訪問。御陵は平城京大極殿跡のすぐ北にある。かつては全国最大の円墳と言われていたが、発掘調査により前方部が平城京築造の際に取り壊された前方後円墳だったことが判明している。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第三六回 平安時代<前期> 五〇代 桓武天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は京都市にある50代桓武天皇の柏原陵と宮跡の長岡宮跡と平安京跡に訪問。平安京跡巡りは京都の町家のなかに点在していて廻りきる事が出来なかった。なかなか大変な行程だった(苦笑)。