天皇陵

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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五五回 六九代 後朱雀天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、六九代後朱雀天皇陵と後朱雀天皇火葬塚を訪問。「きぬかけの道」から御陵のある「龍安寺」、そかから歩いて約15分。左大文字山のふもとの住宅街に火葬塚があった。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五四回 六八代 後一條天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、六八代後一條天皇陵に訪問。六六代一条天皇の第二皇子で、摂関家藤原道長の孫にあたる。六七代三条天皇の譲位を受けて数え八歳で即位した天皇。数え29歳で皇子に恵まれぬまま、突然の崩御すろ・・・。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五三回 六七代 三条天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、六七代三条天皇陵に訪問。車なら、金閣寺の駐車場に止めれば便利。北に300mほど上がれば御陵です。御陵から徒歩約12分の場所に一条・三条天皇火葬塚もあります。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五二回 六六代 一条天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、65代花山天皇が内裏を抜け出して出家したため、7歳で即位した66代一条天皇陵。その御陵は父である64代円融天皇の火葬塚が残っている京都市右京区竜安寺朱山の龍安寺(円融寺)内に治定されいる。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五一回 六五代 花山天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。 写真取材 赤木 賢二 紙屋川上陵(花山天皇陵...
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五〇回 六四代 円融天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、兄である冷泉天皇の譲位により、11歳で64代円融天皇として即位した。幼かったため、太政大臣藤原実頼が摂政に。実頼が亡くなった後も、藤原氏の摂政が続いた。在位中、常に藤原氏の権力争いに巻き込まれていた天皇。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四九回 六三代 冷泉天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、在位期間がはずか約2年の冷泉天皇御陵へ。その所在地は京都市地下鉄・蹴上から歩いて「哲学の道」を目指す。平日なら観光客も少なく、ゆっくり歩ける。観光名所も多く、楽しい訪問となりました。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四八回 六二代 村上天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、摂関を置かず親政を行なったと言われていが、政治の実権は摂関家の藤原兄弟にあったとされている天皇の御陵を紹介。最寄駅は京福北野線・宇多野から、約1km・徒歩約15分です。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四七回 六一代 朱雀天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、わずか3歳にして立太子、8歳で61代天皇に即位した朱雀天皇陵に訪問。この冶世では、「平将門の乱」、「藤原純友の乱」があり、天災では「富士山の噴火」にも見舞われる苦難に満ちた時代を過ごした天皇。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四六回 六〇代 醍醐天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、60代醍醐天皇は父・宇多天皇の皇籍復帰に伴い、皇族に戻った。897年に即位し、その治世は34年も続いた。その御陵は、伏見区醍醐古道町とされているが、長らく醍醐寺の管理下にあったため、所在の確定ができない平安時代の陵である。