天皇御陵踏破の旅 2025.03.10 第一二五回 陽光院太上天皇(誠仁親王)陵追尊天皇陵編-05追尊天皇の御陵を巡る旅、今回は安土桃山という時代に翻弄された、追尊天皇「陽光院太上天皇(誠仁親王)」の御陵「月輪陵」へ参拝。御陵は「泉涌寺」内にあり、その「泉涌寺」には天皇・皇后・親王の御尊牌が179基、祀られている「霊明殿」もある。「烏丸御池」駅近くの「二条新御所」跡へにも訪問。 第一二四回 崇道天皇(早良親王)陵<後編>追尊天皇陵編-04 追尊天皇の御陵を巡る旅、今回も「崇道天皇陵(早良親王)」の痕跡を訪ね淡路島へ。「 天王の森・早良親王の墓跡」伝承地、もう一つ「早良親王」を祀る場所、霊安寺「常隆寺」に参拝。伝承地の御堂は荒れ放題・・・、不敬だがあまりの不気味さに寒気がした、史跡より〇〇スポットの様だった。 第一二四回 崇道天皇(早良親王)陵<前編> 追尊天皇陵編-04追尊天皇の御陵を巡る旅、今回は怨霊となった「崇道天皇陵(早良親王)」、「崇道天皇社」へ参拝。「崇道天皇陵(八島陵)」はJR桜井線「帯解」下車、約1,7km、徒歩約25分。御陵は美しく整備されている。御霊を鎮めるため、毎日きれいに清めているのだろうか。 第一二三回 春日宮天皇(志貴皇子)陵追尊天皇陵編-03追尊天皇の御陵を巡る旅、今回は「春日宮天皇(志貴皇子)」の御陵「田原西陵」へ訪問。近鉄・奈良から奈良交通バスで約25分で田原御陵前に着く。停車場のすぐ横に御陵へ入口がある。石垣に囲まれた参道を抜ければ、田畑に挟まれた参道になる。追尊天皇陵とは思えない立派な御陵だ。 第一二二回 崇道尽敬皇帝(舎人親王)陵追尊天皇陵編-02追尊天皇の御陵を巡る旅、今回は「崇道尽敬皇帝・舎人親王陵(黄金塚陵墓参考地)」に参拝。大和郡山市にある「松尾寺」、「舎人親王」の毛骨を祀る塚へにも訪問した。「松尾寺」JR大和路線「大和小泉」より、約4km・・・約1時間かけ歩いて着いた。 第一二一回 岡宮天皇(草壁皇子)陵追尊天皇陵編-01歴代の天皇御陵を踏破できた。次に旅する目的は追尊天皇の御陵を巡る旅です。その初めは、父に四〇代・天武天皇、母に四一代・持統天皇にもつ岡宮天皇(草壁皇子)が眠る「真弓岡陵」へ。そして、もう一つの「草壁皇子」の陵墓、「束明神古墳」に訪問した。 第一二〇回 一二四代 昭和天皇陵 <その6>今回も「昭和天皇」の足跡を巡る最終回。京都・洛北へ「八瀬童子」の里に訪問した。「八瀬童子」とは、中世から多くの天皇の身近で輿や棺を担ぐ仕事をしている。今日でも「天皇家に最も身近な庶民」と言われている人たちが暮らす所だ。「八瀬天満宮社」の鳥居前には、八瀬童子の年表があった。 第一一九回 一二四代 昭和天皇陵 <その5>今回も「昭和天皇」の足跡を巡る第5回目です。昭和天皇の戦後巡幸(1946年から1954年まで)を8年半をかけてお巡理になった。その時には、全道の巡幸の希望は叶えられなかった。後の1968年(昭和43年)に、氷雪の門、九人の乙女の碑などの前にお立ちになられた。 第一一八回 一二四代 昭和天皇陵 <その4>今回も「昭和天皇」の足跡を巡る第3回目です。滋賀県野洲市にある「昭和の悠記斎田」に訪れました。昭和天皇即位の「大嘗祭」に際し選ばれた「悠紀斎田」は、「近江富士」として名高い「三上山」を借景にする風光美豊かな田畠だった。 第一一七回 一二四代 昭和天皇陵 <その3>今回も「昭和天皇」の足跡を巡る第2回目です。多摩モノレール「立川北」駅前から徒歩・約10分で「昭和天皇記念館」に着く。ここには『平常展示』として「昭和天皇87年の御生涯」が展示されている。そこには「儀式用御椅子」「国産御料車のニッサン プリンス ロイヤル」などが。 第一一六回 一二四代 昭和天皇陵 <その2>今回は「昭和天皇」の足跡を追いかける1回目、港区元赤坂にある「旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)」に訪れました。門までの長いアプローチは、100m以上はあります。その門はイギリスのバッキンガム宮殿に似ている。更に100m以上歩けば迎賓館の「前庭」が見えてきた・・・広い。 第一一五回 一二四代 昭和天皇陵 <その1>今回は「昭和天皇陵」参拝へ。大正天皇陵の手前に御陵へと向かう分岐道があります。そのまま進めば、すぐに見えてくる。右手には「香淳皇后」の「武蔵野東陵」、奥が「昭和天皇」の「武藏野陵」。昭和世代の私にとっては神々しい御陵に感じてしまう。初代の御陵から巡り、ようやくここに到着いたしました! 第一一四回 一二三代 大正天皇陵 <後編>今回は「大正天皇」の足跡を訪ね、高知県高岡郡中土佐町へ。南国土佐と大正天皇の意外な関係は、1915年1月4日午前1時深夜、久礼八幡町(当時町名)より出火、焼失家屋237戸もの大火があった。正月早々に焼け出された町民に、心をお痛めになった大正天皇が復興費350円を下賜された。 第一一三回 一二三代 大正天皇陵 <中編>今回は「大正天皇陵」の足跡を訪ね、愛知県岡崎市にやってきました。名鉄「桜井」に到着、田園地帯を抜ければ「中島集落」。ここに大正天皇を祀る「中島八幡社」があります。その近くには「大正天皇・大嘗祭」の「悠紀斎田」が残っている「悠紀の里・地域交流センター六ツ美分館」へ。 第一一二回 一二三代 大正天皇陵 <前編>今回は「大正天皇陵」のある東京都八王子市のJR「たかお」へ。駅の出口に迷った後に、ようやく「多摩御陵参道」を歩く、この参道は緑の並木に溢れ心地良い道でした。歩くこと約2.5km、徒歩約40分で到着しました。還暦越えには、まあまあしんどかったです(苦笑)。 第一一一回 一二二代 明治天皇陵 <後編>今回は「明治天皇」の足跡を追って「明治神宮」と「外苑」を訪れました。参拝の後は、葬場殿の儀が行われ棺が安置された場所でもある「葬場殿址」、「聖徳記念絵画館」、「樺太国境画定標石」、「旧赤坂仮皇居御会食所」など。探せば「明治天皇」の足跡はいくらでもある・・・。 第一一〇回 一二二代 明治天皇陵 <特別編>今回は「明治天皇」の足跡を追って花の都、大東京へ。東京駅舎を出て、西に行幸通りに進み、皇居前に到着。「皇居一般参観」に参加、初めての皇居でドキドキする。「富士見櫓」から「宮内庁」、緩やかな坂の上には、「一般参賀」でご一家がお出ましされる「長和殿」が見える! 第一〇九回 一二二代 明治天皇陵 <中編>今回は多く残る「明治天皇」の足跡を追ってみる。まずは「伏見桃山陵」横の「昭憲皇太后・伏見桃山東陵」へ、その後「祇園四条」にある「天道神社・明治天皇皇后御胞衣塚」。そして「京都御所・中山邸跡」、ここには「明治天皇」の幼名がついている井戸が残っている。 第一〇八回 一二二代 明治天皇陵 <前編>今回は関西地方に葬られた、最後の天皇陵の122代・明治天皇「伏見桃山陵」に参拝。京阪本線「伏見桃山」を下車、ひたすら府道79号を東に向かい進む。約2km、徒歩約30分ほど歩けば御陵につながる230段の大階段に到着。頂上に上り詰めれば、眼下には宇治市や城陽市の街並みが広がる。 第一〇七回 一二一代 孝明天皇陵 <後編>前回に引き続き121代・孝明天皇の足跡を追いかけた。五条の「孝明天皇御胞衣塚」が祀られている「若宮八幡宮」、京都御苑・今出川御門側にある仮御所だった「桂宮跡」。そして「孝明天皇」を御祭神としてお祀りしている、愛知県知多郡にある「玉鉾神社」へ向かった。 第一〇六回 一二一代 孝明天皇陵 <前編>今回は6歳にて幕末の嵐の中で即位した、121代・孝明天皇「後月輪東山陵」へ。時に米・英・仏・露の艦隊が開国を求めるなか、終始攘夷を主張した天皇。薩長の倒幕派を嫌い、あくまでも幕府による攘夷を望んだ。そのため、崩御にあたっては諸説語られている。 第一〇五回 一二〇代 仁孝天皇陵今回は学習院大学の基礎を作った120代仁孝天皇の足跡を求め旅に出る。御陵は勿論、月輪陵・・・。その裏山にある雲龍院に仁孝天皇皇女雲龍院墓があることを聞き訪問。そして、西院にある春日神社の仁孝天皇御胞衣塚にも足を伸ばした。 第一〇四回 一一九代 光格天皇陵今回もやはり119代光格天皇の足跡を探しに京都御苑へ来ました。ここ京都御苑の南端には、光格天皇がお生まれになった閑院宮邸跡がある。現在は閑院宮邸跡収納展示館となっていて無料で入館できます。天皇生誕地に訪れた後には、光格天皇御包塚のある護浄院へ。 第一〇三回 一一八代 後桃園天皇陵後桃園天皇の足跡を求めていたが、若くして崩御しているため、足跡が見当たらず・・・。天皇の御生母・恭礼門院の仮御所「妙法院門跡」の訪問となった。ここは天明の大火に被災されたときの仮住まいです。京阪本線・七条から約徒歩15分、約800m。 第一〇二回 一一七代 後桜町天皇陵今回は、現皇室史における最後の女性天皇「117代・後桜町天皇」の足跡を求め「青蓮院門跡」へ。この門跡寺院は、1788年の大火で「後桜町上皇(天皇)」の御所が焼けたことにより避難してきたことで、ここが仮御所となり、「粟田御所」と呼ばれるようになった。 第一〇一回 一一六代 桃園天皇陵今回も116代・桃園天皇の足跡を求め「東福寺 芬陀院」に訪れた。ここには桃園天皇の中宮「恭礼門院御所」を下賜された建造物が残っている。また、その庭は水墨画で有名な室町時代の「雪舟」の作だった。もう一つ、庭があった茶室「図南亭」の丸窓から見る庭は、、小さな庭だが苔と石組が調和が見事だ。 第一〇〇回 一一五代 桜町天皇陵第一〇〇回 一一五代 桜町天皇陵 今回も115代・桜町天皇の足跡を探して京都右京区御室の仁和寺近くの「転法輪寺」に訪れた。ここには崩御された桜町院(天皇)の追福のために造られた、高さ約7.5mの大きな「阿弥陀如来座像」があると聞き。撮影がOKなことを知り、カメラを用意して本堂内に向かうことにした。 第九九回 一一四代 中御門天皇陵今回も114代・中御門天皇の足跡を求め京都市伏見区深草にやってきた。ここ藤森神社には中御門天皇より下賜された「御所の賢所(内侍所)」が残っている。現在も藤森神社では「本殿」として使われている、現存する「賢所」では最古のものと言われている。 第九八回 一一三代 東山天皇陵江戸時代の御陵巡りはつらい・・・、月輪陵ばかりだから。今回も113代・東山天皇の足跡を探す旅へ出かけた。そして京都・岩倉にやってきました。ここ「実相院」には「東山天皇の中宮・承秋門院の女院御所(移設)が現存する。その他にも、天皇ゆかりの遺物が寺宝としてあるお寺だ。 第九七回 一一二代 霊元天皇陵今回も月輪陵・・・。112代・霊元天皇の足跡を探して高野山へ足を伸ばした。「奥の院」の左奥に天皇が9人、皇族が15人も祀られている「仙陵」がある。そこには「霊元天皇歯塔」があるのだが・・・、どれが「霊元天皇歯塔」か分からない。多分、真ん中の塔(円墳上宝篋印塔)が・・・。 第九六回 一一一代 後西天皇陵今回のまだまだ月輪陵・・・。111代・後西天皇の足跡を探し歩く。そして京都で紅葉が有名な「毘沙門堂門跡」へ。ここには、後西天皇の旧殿を移築した「宸殿」が残っている。その上、天皇の第六王子「公弁法親王(輪王子宮)」の墓もあった。JR・京阪・地下鉄「山科」より徒歩約16分。 第九五回 一一〇代 後光明天皇陵今回の後光明天皇陵も月輪陵・・・。後光明天皇の足跡を探し、京都市のど真ん中!?にきました。安産祈願で有名な「大蓮寺」、後光明天皇が皇后懐妊の時、安産祈願の勅命を下したお寺です。「大蓮寺」には京阪本線「三条」より徒歩約9分、約650mと近いです。 第九四回 一〇九代 明正天皇陵今回も「月輪陵」なので、「明正天皇」の足跡を探し出し山科にやってきた。JR「京都」より湖西・琵琶湖線に乗り「山科」に到着、改札を出て京阪・京津線の踏切を越えて突き当たれば「十禅寺」。ここは「明正天皇」によって再興されたと言われている菩提寺勅願所。 第九三回 一〇八代 後水尾天皇陵深草北陵の訪問が終わったと思えば、なんと! この後、13代もの天皇が眠る「月輪陵」だ・・・。気を取り直し、今回は108代・後水尾天皇の頭髪や歯を奉る「相国寺・後水尾天皇髪歯塚」に訪問。京都市地下鉄「今出川」から徒歩約7分で「相国寺」の総門に着いた。 第九二回 一〇七代 後陽成天皇陵今回も深草北陵・・・、これでこの御陵も最後になる。気を取り直して後陽成天皇の足跡を訪ねに滋賀県近江八幡にきました。八幡山ロープウェイで頂上へ、ここには後陽成天皇・勅願寺の「瑞龍寺」が建立されている。関白・秀次公が非業の死を遂げたことを弔うため建てられたお寺です。 第九一回 一〇六代 正親町天皇陵今回の天皇御陵踏破の旅も、「深草北陵」です。なので「106代・正親町天皇」の足跡を探り旅に出ました。「正親町天皇」は「織田信長」と深く関わっているので面白く巡ることができた。信長親子の冥福を祈るために天皇勅令により開山された「大雲院・大雲院跡」など。 第八七回 一〇二代 後花園天皇陵今回の天皇御陵踏破の旅は、「北朝初代・光厳天皇」が創建した、「常照皇寺」内にある「後山国陵(後花園天皇陵)」に訪問、そして京都市上京区堀川通上御霊前扇町にある「後花園天皇火葬塚」にも訪問参拝。とうとう、室町・安土桃山時代に入りました、引き続きご覧頂ければ幸いです。 一〇一代 稱光天皇陵今回の天皇御陵踏破の旅は、何度か訪問している十二帝が眠る「深草北陵。そこで、28歳で夭折した稱光天皇の縁の場所、足跡が残っている場所を探して、ようやく「泉涌寺・海会堂」にたどり着いた。そこには歴代天皇の位牌を仏式で祀る「霊明殿」がある。 一〇〇代(北朝六代) 後小松天皇陵今回の天皇御陵踏破の旅は、何度か訪問している十二帝が眠る「深草北陵(深草十二帝陵)」。なので「後小松天皇」に縁のある場所へ足を向けた。そ「酬恩庵 一休寺」へ、なぜ「一休宗純」なのかは「後小松天皇」の子と言われているからだ、その証拠に墓所は宮内庁が御陵として管理している。 九九代 後亀山天皇陵今回の天皇御陵踏破の旅は、京都市右京区嵯峨にある後亀山天皇陵と仙洞御所とした大覚寺に訪問。両朝講和のための条件を受諾し、南北朝時代に終焉させようとした後亀山天皇。天皇陵全踏破を目指し、還暦越え写真家の旅をご覧頂ければ幸いです。 一〇〇代天皇陵訪問まじかスペシャル総集編07 六一代~七〇代天皇陵五十路もなかばの頃、ふと考えた。日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。あと1代の天皇陵で100代を迎えることができる。いままで巡った御陵を数回に渡り振り返ってみる総集編の第7回目です。 一〇〇代天皇陵訪問まじかスペシャル 総集編06 51代~60代天皇陵五十路もなかばの頃、ふと考えた。日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。あと1代の天皇陵で100代を迎えることができる。いままで巡った御陵を数回に渡り振り返ってみる総集編の第6回目です。 一〇〇代天皇陵訪問まじかスペシャル総集編05 41代~50代天皇陵五十路もなかばの頃、ふと考えた。日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。あと2代の天皇陵で100代を迎えることができる。いままで巡った御陵を数回に渡り振り返ってみる総集編の第5回目です。 一〇〇代天皇陵訪問まじかスペシャル総集編04 三一代~四十代天皇陵五十路もなかばの頃、ふと考えた。日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。あと3代の天皇陵で100代を迎えることができる。いままで巡った御陵を数回に渡り振り返ってみる総集編の第4回目です。 一〇〇代天皇陵訪問まじかスペシャル総集編03 二一代~三十代天皇陵五十路もなかばの頃、ふと考えた。日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。あと4代の天皇陵で100代を迎えることができる。いままで巡った御陵を数回に渡り振り返ってみる総集編の第3回目です。 一〇〇代天皇陵訪問まじかスペシャル総集編02 十一代~二十代天皇陵五十路もなかばから、巡り出した歴代天皇陵。気が付けば還暦を越えていた。あと5代の天皇陵で100代を迎えることができる。その先には、天皇陵全踏破が待っている。還暦越え写真家が、いままで巡った御陵を数回に渡り振り返ってみる総集編の第2回目です。 一〇〇代天皇陵訪問まじかスペシャル総集編01 初代~十代天皇陵五十路もなかばの頃、ふと考えた。日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。あと5代の天皇陵で100代を迎えることができる。いままで巡った御陵を数回に渡り振り返ってみる総集編の第1回目です。 第八三回 九八代 長慶天皇陵今回の天皇御陵踏破の旅は、京都市右京区嵯峨にある長慶天皇陵から、全国各地に多くある陵墓伝説の2ヶ所を巡る旅。岩手県二戸市の天台寺・長慶天皇御陵参考地、青森県弘前市の上皇宮・長慶天皇御陵参考地を訪問。天皇陵全踏破を目指し、還暦越え写真家の旅をご覧頂ければ幸いです。 第八二回 九七代 後村上天皇陵今回の天皇御陵踏破の旅は大阪府河内長野市の観心寺にある97代・後村上天皇陵へ訪問。その後、行宮があった金剛寺(天野行宮)、住吉大社近くの後村上天皇終焉の地・住吉行宮跡にも足を伸ばしてみました。天皇陵全踏破を目指し、還暦越え写真家の旅をご覧頂ければ幸いです。 第八一回 九六代 後醍醐天皇陵今回から南北朝時代に突入しました。奈良県吉野の九六代・後醍醐天皇陵と金峯山寺本堂・蔵王堂の吉野朝宮跡、その近くの吉水神社・南朝皇居跡を訪問しました。何度も都落ちをした後醍醐天皇の足跡をたどります。天皇陵全踏破を目指し、還暦越え写真家の旅をご覧頂ければ幸いです。 鎌倉時代 八二代〜九五代 平安時代〈後期・末期〉六四代〜八一代 平安時代〈前期〉五◯代〜六三代 白鳳・奈良時代 三十八代〜四十九代 飛鳥時代 二十七代〜三十七代 古墳時代 十五代〜二十六代 黎明期 初代〜14代